先日、購入したレモンを常温で放置していて一つ腐らせてしまった。安易にその辺に置きっぱなしにして忘れていた自分をすごく残念に思った。

「そんなに買い物いけない今なのに・・・なんてもったいないことをしてしまったんだろう。」

残りのレモンは腐らすまいと、ハイボール用にカットして冷凍保存にした。そして、その時にカットした端を乾燥させ、お風呂にいれてみた。

乾燥させている途中も柔らかくて甘酸っぱい匂いがして、キッチンがとても幸せな空気になっていた。ニオイをかぎに来る娘が小さな鼻でクンクンしているのも、とても愛らしかった。
そして、一個無駄にしてしまった事への罪滅ぼしが出来たようで気分も良かった。ささくれだった心が穏やかになる感じがした。

コロナ禍で生活が大きく変わってきて、まだその変化には対応しきれてはいないけれども、自分の暮らしの足元が逆に固まってきているような気がするときがある。例えばレモンのニオイをかぐ娘に幸せを感じる時なとがそうだ。

今まで、こんな幸せを見過ごして来たのかな?

この緊急事態宣言により自宅待機が増えていることで、なんと家庭ゴミが増加しているようだ。

中には収集が追いついていない街もあるようで、理由としては自宅での食事が増えているほか、片づけの機会が増えていることも要因とのことだった。

SNSなどを見ても、「片づけをしています」という投稿を多く目にするようになった。住環境への関心の高まりは整理収納アドバイザーとして嬉しく思う。

が、必死に片づけせざるを得ない状況というのは、やはりちょっとおかしいのではないか?とも思う。

そんなに片づけを頑張らなくちゃいけないくらい、私たちの暮らしにモノは必要だったのだろうか?

捨てる時には「もったいない」と思い捨て渋るのに、家にいれるときにはそんなことすら想像することもなく簡単にモノを買い、大事に保管せず買った事すら忘れられている。
使おうとも思われていないようなモノが多く存在しているんじゃないだろうか?

使おうと思って買ってはみたけど、いまいち自分には合わなかったというモノもある。それは買うことに失敗したということで、失敗は誰にでもある。

でも、失敗とも認識していないような乱暴なモノの持ち方を変えない限りは、片づけが無用な暮らしが訪れる事はないだろう。

この自宅待機の毎日というのはきっと、そんないままでの多買多捨の乱暴な暮らし方を振り返って自分の暮らし方と向き合う、そんな日々になるんじゃないかな?と感じています。

片づけは、捨てる所だけに目を向けるんじゃなくって、どうして捨てなきゃいけなくなったのか?入り口の所もぜひ考えてみて欲しいなと思っています。

今日は真面目なブログでした。